「明治150年・京都のキセキ」プロジェクトにて、任天堂が花札を手がける「山内任天堂」として創業した明治22年(1889年)当時の写真が公開されました。
今でこそ世界的なゲームメーカーとして知られる任天堂ですが、山内房治郎さんが創業した当時は主に花札・かるたを手がけていました(花札やトランプなどは現在も製造しています)。
任天堂、明治22年の創業当時の初代社屋写真が公開
「明治150年・京都のキセキ」プロジェクトは、明治元年から数えて150年の節目を迎える2018年、明治期に京都で行われたことや先人が行ったことなどを改めて振り返り、皆で共有し、今と未来に活かしたいと考えるプロジェクト。
その明治、京都の人が行ったことの1つに、今や日本を代表する世界的なゲーム会社として知られるようになった任天堂も含まれています。
任天堂は明治22年(1889年)、山内房治郎さんが「山内任天堂」として花札・かるたを手がける製造業として創業。この創業当時の写真は、山内房治郎さんから数えて5代目にあたる、山内一正さんが社長を務める株式会社灰孝本店によって提供されました。
貴重な写真提供だけでなく任天堂に関するエピソードの訂正も。任天堂の逸話の1つとして知られる「明治37年、38年の日露戦争において、ロシア人捕虜をなぐさめるために、任天堂(当時は山内任天堂)がトランプを制作したのが、国産化のはじまり」という話。これは誤りで、実際には明治36年から量産化が始まっていました。アメリカのUSプレイング社の資料館にて、明治36年に製作された「山内任天堂」のトランプが発見されており、アメリカに相当数輸出していたことがわかっているということです。
また花札類の製造業「山内任天堂」は、セメントメーカーを営んでいた「灰岩」(灰孝本店の前身)の新事業として起業されたものであるなど、興味深い話も含まれています。
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